ひねもす ちはやふる
HN福ら雀による、漫画「ちはやふる」に関する思ったことのつれづれ考察。 基本的に、否定より現状肯定、貶すより良いほうに捉えることをメインのスタンスとしています。感想より分析が好きです。 支部もやってます↓ http://www.pixiv.net/member.php?id=11693593
11月5日ツイート 26巻のセリフの解釈について
- 2014/11/17 (Mon) |
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@末次先生のツイートの26巻に「違う風に受け取られているネームがある」が気になる。大筋は変わらないとのことだけど果たして?「ごめんよ」のとこだったら、確かに私は太一だと思ったけど下の娘は千早だといってたなあ。気になるけど次回までカウントダウン、心を鏡のように澄ませて待つべし。
@あっ、「ごめんよ」じゃなくて「うそだよ」だ!ごめんよ、じゃ寅さんみたいー
。出張づかれかのう。仕事しくじらないようにしなきゃ。
でも該当ネーム、具体的に指摘されないままだと、26巻あの展開だから皆気になるところだし、読みの多様性を超えてスーパー解釈も出るかもだから心配ではある
@2巻の「友達でいたいよ」を再確認。最初私は新の台詞かと思いアニメでダメ押しされて末次先生のTweetの内容を知って千早の台詞だとわかったのだけど、確かに千早だ。吹き出しも前と同じだし、流れ的にも。うーむどうして勘違いしたのかと考えてみる。
@思うに、千早の気持ちが響いてほしいという願望がどこかにあったのかな。そしてここは確かに響いたから駆けつける訳で、千早の気持ちであるとともに「友達でいたい」というのは新の気持ちでもある。同じ台詞が複数の気持ちを兼ね得る、というのが、同じ音で違う意味を兼ねる和歌の掛詞とちょっと似てる
@そういう意味では作者の意図をきちんとわかった上なら、深みのある表現なのかも。一方「うそだよ」のほうは、千早の台詞ととる場合は千早の愕然とした表情にかぶって描かれてるからなんだろう。私としては、最初太一の口元が描かれているところ、続いての発話が「千早」「の」とたどたどしいところで
@千早の表情を見て答えがわかり「うそだよ」と否定しようとし、もしかしたら「千早、(うそだよ)」と言おうとしたけれど、「千早」「の」続いて思いが溢れた、というふうに最終的には読んだ。末次先生の仰るネームがここなのかはわからないし、太一なのか千早なのかも明らかにされてる訳じゃない
@でももしここだったら。ここは、千早の台詞ととらえたら、千早の気持ちも太一の気持ちも活きない気が私はする。千早は太一の「好き」を正しく受け止めた上で否定してることに、太一は優しさからか一度逃げようとして、でも逃げずに気持ちを伝えたところだと思うから。
@『源氏物語』始め「読み」の多様性は作品に深みを与えるし、特にミステリでは積極的にミスリードさせて作品を面白くする訳だけど、やっぱり登場人物や作者の気持ちの流れを妨げたり逆流させたりする「読み」は存在否定まで行かなくても多数を占めてはいけないと思う。
@私の「読み」も、作者の意図に反することなら訂正する気満々である。読者全ての読みを統一することは無理だしそういう独裁は作品の魅力を下げる可能性もあるけれど、特に曖昧な場面はメインの読みがちょっとでも拡がって多数になったらいいなと思う。なので、末次先生今回も呟いてくださるとよいな
@あっ、「ごめんよ」じゃなくて「うそだよ」だ!ごめんよ、じゃ寅さんみたいー
。出張づかれかのう。仕事しくじらないようにしなきゃ。
でも該当ネーム、具体的に指摘されないままだと、26巻あの展開だから皆気になるところだし、読みの多様性を超えてスーパー解釈も出るかもだから心配ではある
@2巻の「友達でいたいよ」を再確認。最初私は新の台詞かと思いアニメでダメ押しされて末次先生のTweetの内容を知って千早の台詞だとわかったのだけど、確かに千早だ。吹き出しも前と同じだし、流れ的にも。うーむどうして勘違いしたのかと考えてみる。
@思うに、千早の気持ちが響いてほしいという願望がどこかにあったのかな。そしてここは確かに響いたから駆けつける訳で、千早の気持ちであるとともに「友達でいたい」というのは新の気持ちでもある。同じ台詞が複数の気持ちを兼ね得る、というのが、同じ音で違う意味を兼ねる和歌の掛詞とちょっと似てる
@そういう意味では作者の意図をきちんとわかった上なら、深みのある表現なのかも。一方「うそだよ」のほうは、千早の台詞ととる場合は千早の愕然とした表情にかぶって描かれてるからなんだろう。私としては、最初太一の口元が描かれているところ、続いての発話が「千早」「の」とたどたどしいところで
@千早の表情を見て答えがわかり「うそだよ」と否定しようとし、もしかしたら「千早、(うそだよ)」と言おうとしたけれど、「千早」「の」続いて思いが溢れた、というふうに最終的には読んだ。末次先生の仰るネームがここなのかはわからないし、太一なのか千早なのかも明らかにされてる訳じゃない
@でももしここだったら。ここは、千早の台詞ととらえたら、千早の気持ちも太一の気持ちも活きない気が私はする。千早は太一の「好き」を正しく受け止めた上で否定してることに、太一は優しさからか一度逃げようとして、でも逃げずに気持ちを伝えたところだと思うから。
@『源氏物語』始め「読み」の多様性は作品に深みを与えるし、特にミステリでは積極的にミスリードさせて作品を面白くする訳だけど、やっぱり登場人物や作者の気持ちの流れを妨げたり逆流させたりする「読み」は存在否定まで行かなくても多数を占めてはいけないと思う。
@私の「読み」も、作者の意図に反することなら訂正する気満々である。読者全ての読みを統一することは無理だしそういう独裁は作品の魅力を下げる可能性もあるけれど、特に曖昧な場面はメインの読みがちょっとでも拡がって多数になったらいいなと思う。なので、末次先生今回も呟いてくださるとよいな
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