ひねもす ちはやふる
HN福ら雀による、漫画「ちはやふる」に関する思ったことのつれづれ考察。 基本的に、否定より現状肯定、貶すより良いほうに捉えることをメインのスタンスとしています。感想より分析が好きです。 支部もやってます↓ http://www.pixiv.net/member.php?id=11693593
ちはやふる 感想 まだまだ 〜比べられるものと、比べられないもの
- 2014/10/03 (Fri) |
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ちはやふる 感想 まだまだ
〜 比べられるものと、比べられないもの
まだ考えてます……「ちはやふる」(苦笑)
考えれば考えるほど、138首の「太一の告白」のあとの、
「千早が太一にNOという」=「新を選ぶ」
っていう図式がしっくりこなくなってきてます……
もしかしたら、
「太一の告白」が千早に呼び起こしたのは
「太一か新かどちらかを選ぶために比べる」
ということで、千早は
「比べられない」「選べない」=
でもそんな気持ちをなんて言っていいかわからず、「ごめん」
と言ったのかも。
コマがふたつあるのは、
「選べない」「ごめん」
だったりしないかなと。
千早にとっては、新も太一もそれぞれに絶対的に大事で、どちらか選べずそう言った訳なんだけど、太一からしたら、
「(太一を)選べない」
という風にとっちゃったのかな、とか…
なんでそんな風に思うかというと。
真っ直ぐな千早は、太一と新を比べることはしないんじゃないかと思うからです。
現に記憶の限り、千早は原作でそういうことをしたことないんじゃないかと。(週末さらってみようっと)
どうしても比べざるを得ない、新と太一の対戦も見てないし。
太一に告白された時に、「新は?」と思って新の告白を思い浮かべて初めて「比べる」をすることになり、「比べられない」→「選べない」→「ごめん」となった。とか。
そう思うもうひとつの理由は、太一が4/2生まれなことです。
民法では「誕生日の前日に一歳年をとることになる」と決まっているので、太一がひとつ歳をとるのは4/1、つまり、学年で一番お兄ちゃん。
つまりは、小さいころから一番成長が早く、皆よりいろんなことが早くできる。
前にも書きましたが、うちの12月生まれの子がまだ寝返りもうてない5ヶ月位の頃に、同じ学年の4月生まれの子は1歳でもう走ってましたしね^^;
そのうえ太一の器用さ。もう、太一のあのお母さんは、うちの子は飛び抜けてできる!と周りの子と比べまくったこと必至でしょう。
なので太一には「比べられる」こと、「相対化」すること(そしてもしかしたら自分が選ばれる、ということ)が自然だという感覚が身にしみてしまっている。
だから、千早の真っ直ぐな「絶対」、太一は太一として大事、新は新として大事、ということがなかなか呑み込めないんじゃないかなあと…。
新も、「比べる」ことは苦手そう。
一人っ子だし、おじいちゃんの愛を一身に受けてきたし。
何より、吉野会大会の時、「なんで俺やない?」と、自分と太一を「比べ」て真っ黒になってましたもんね。
なので今後の自分勝手に私が希望する展開としては、
①千早が奮起して立ち直って
「選べる訳ないよ、太一は太一で新は新で私にとって大事なんだから!」
と宣言して太一の「比べる」枠をぶっ壊す
②太一が、千早ぬきでかるたと「絶対的に」向き合う
③太一が、新に「何度でも戦いたい」相手と思われてることを知るかなんかして、千早ぬきで新と向き合う
等々が順不同に起こって、結果、太一が「比べる」ことの呪縛から解き放たれ……、3人でまた心の通ったチームになる、なんかだと、いいなあ…
恋愛寄りでなくかるた寄りの脳みそなので、
どーしてもそっちよりに。
私も、競技かるたも「ちはやふる」も「百人一首」も大好きで、それらはどれが好きだからこれが好き、なんて切り分けられない存在だから、千早にとっての新とかるたも、新にとっての千早とかるたもきっとそうなんだと思う。
太一も、千早、新、かるた、受験勉強…等々を「切り分けて」「比べる」んじゃなしに、それぞれをそれぞれとしてまるごと認める、ってことができるはず!
やっぱり、3人でスタートした話だから3人がいいなぁ、私は。
「勝つんだろ、3人で」ですとも。
ちなみに、私は毎日「ほぼ日刊イトイ新聞」HPを見てるのですが、
今日の連載「西條剛央さんが洞窟で刀を研ぎ澄ましている」
http://t.co/gfj9szSuCP
「対立は、回避できる」
を読んでも、思い浮かんだのは「ちはやふる」…。
「でも、その人の存在、つまり
「誰もが、一生懸命生きているということ」
自体を認め合うことだったら、
どんな対立のうえでも、可能だと思う。」
で、これだと思ってしまいましたね。
「お互いの存在自体を認め合うこと」。
そしてドリーマーでイタい発想ではありますが、
そこで西條先生が紹介されてるミスチルの「掌」という歌の歌詞が
なんかまんま今の「ちはやふる」みたいでした。
「キスしながら唾を吐いて
舐めるつもりが噛みついて
着せたつもりが引き裂いて
また愛 求める
ひとつにならなくていいよ
認め合えばそれでいいよ
それだけが僕らの前の
暗闇を 優しく 散らして
光を 降らして 与えてくれる」
3人に、光よ、降れーー!
〜 比べられるものと、比べられないもの
まだ考えてます……「ちはやふる」(苦笑)
考えれば考えるほど、138首の「太一の告白」のあとの、
「千早が太一にNOという」=「新を選ぶ」
っていう図式がしっくりこなくなってきてます……
もしかしたら、
「太一の告白」が千早に呼び起こしたのは
「太一か新かどちらかを選ぶために比べる」
ということで、千早は
「比べられない」「選べない」=
でもそんな気持ちをなんて言っていいかわからず、「ごめん」
と言ったのかも。
コマがふたつあるのは、
「選べない」「ごめん」
だったりしないかなと。
千早にとっては、新も太一もそれぞれに絶対的に大事で、どちらか選べずそう言った訳なんだけど、太一からしたら、
「(太一を)選べない」
という風にとっちゃったのかな、とか…
なんでそんな風に思うかというと。
真っ直ぐな千早は、太一と新を比べることはしないんじゃないかと思うからです。
現に記憶の限り、千早は原作でそういうことをしたことないんじゃないかと。(週末さらってみようっと)
どうしても比べざるを得ない、新と太一の対戦も見てないし。
太一に告白された時に、「新は?」と思って新の告白を思い浮かべて初めて「比べる」をすることになり、「比べられない」→「選べない」→「ごめん」となった。とか。
そう思うもうひとつの理由は、太一が4/2生まれなことです。
民法では「誕生日の前日に一歳年をとることになる」と決まっているので、太一がひとつ歳をとるのは4/1、つまり、学年で一番お兄ちゃん。
つまりは、小さいころから一番成長が早く、皆よりいろんなことが早くできる。
前にも書きましたが、うちの12月生まれの子がまだ寝返りもうてない5ヶ月位の頃に、同じ学年の4月生まれの子は1歳でもう走ってましたしね^^;
そのうえ太一の器用さ。もう、太一のあのお母さんは、うちの子は飛び抜けてできる!と周りの子と比べまくったこと必至でしょう。
なので太一には「比べられる」こと、「相対化」すること(そしてもしかしたら自分が選ばれる、ということ)が自然だという感覚が身にしみてしまっている。
だから、千早の真っ直ぐな「絶対」、太一は太一として大事、新は新として大事、ということがなかなか呑み込めないんじゃないかなあと…。
新も、「比べる」ことは苦手そう。
一人っ子だし、おじいちゃんの愛を一身に受けてきたし。
何より、吉野会大会の時、「なんで俺やない?」と、自分と太一を「比べ」て真っ黒になってましたもんね。
なので今後の自分勝手に私が希望する展開としては、
①千早が奮起して立ち直って
「選べる訳ないよ、太一は太一で新は新で私にとって大事なんだから!」
と宣言して太一の「比べる」枠をぶっ壊す
②太一が、千早ぬきでかるたと「絶対的に」向き合う
③太一が、新に「何度でも戦いたい」相手と思われてることを知るかなんかして、千早ぬきで新と向き合う
等々が順不同に起こって、結果、太一が「比べる」ことの呪縛から解き放たれ……、3人でまた心の通ったチームになる、なんかだと、いいなあ…
恋愛寄りでなくかるた寄りの脳みそなので、
どーしてもそっちよりに。
私も、競技かるたも「ちはやふる」も「百人一首」も大好きで、それらはどれが好きだからこれが好き、なんて切り分けられない存在だから、千早にとっての新とかるたも、新にとっての千早とかるたもきっとそうなんだと思う。
太一も、千早、新、かるた、受験勉強…等々を「切り分けて」「比べる」んじゃなしに、それぞれをそれぞれとしてまるごと認める、ってことができるはず!
やっぱり、3人でスタートした話だから3人がいいなぁ、私は。
「勝つんだろ、3人で」ですとも。
ちなみに、私は毎日「ほぼ日刊イトイ新聞」HPを見てるのですが、
今日の連載「西條剛央さんが洞窟で刀を研ぎ澄ましている」
http://t.co/gfj9szSuCP
「対立は、回避できる」
を読んでも、思い浮かんだのは「ちはやふる」…。
「でも、その人の存在、つまり
「誰もが、一生懸命生きているということ」
自体を認め合うことだったら、
どんな対立のうえでも、可能だと思う。」
で、これだと思ってしまいましたね。
「お互いの存在自体を認め合うこと」。
そしてドリーマーでイタい発想ではありますが、
そこで西條先生が紹介されてるミスチルの「掌」という歌の歌詞が
なんかまんま今の「ちはやふる」みたいでした。
「キスしながら唾を吐いて
舐めるつもりが噛みついて
着せたつもりが引き裂いて
また愛 求める
ひとつにならなくていいよ
認め合えばそれでいいよ
それだけが僕らの前の
暗闇を 優しく 散らして
光を 降らして 与えてくれる」
3人に、光よ、降れーー!
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